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なぜ死刑執行はされないのか?

1. 政治的な判断と責任回避

死刑執行には法務大臣の署名が必要であり、その署名がなければ執行されません。この制度設計により、実質的に「法務大臣の思惑次第」で死刑の執行が左右されている現実があります。

死刑制度に対して慎重な姿勢を取る大臣であれば、任期中一度も署名せず執行が行われないこともあります。これは、命を奪うという極めて重い決断に政治家個人が責任を負う制度になっており、批判の矢面に立つことを避けたい心理が強く働くためです。

さらに、世論の注目が集まる重大事件の直後や国政選挙前後など、タイミングによっては政治的配慮から執行が見送られる傾向もあります。

2. 冤罪リスクと制度への疑義

死刑は取り返しがつかない刑罰である以上、冤罪の可能性が少しでもあれば執行には慎重にならざるを得ません。日本では袴田事件のように、死刑判決後に重大な冤罪が疑われる事例も存在しており、制度自体への信頼性が揺らいでいます。

また、死刑の執行には精神的負担が伴い、実務を担う刑務官や関係者のストレスも無視できない要素です。

3. 国際社会からの圧力

欧州連合(EU)や国連人権理事会は死刑廃止を強く推進しており、日本は先進国の中で死刑制度を維持する数少ない国のひとつとして批判の対象になることがあります。こうした圧力を無視できない一方で、国民の大多数は死刑制度の維持に賛成しており、政府は板挟みの状態です。

その結果、制度は維持しつつ執行を絞る「事実上の停止状態」に近い運用が続くこともあります。

4. 運用上の構造的問題

死刑判決が確定しても、実際に執行されるまでに10年、20年と経過することがあります。これは再審請求の手続きや、精神状態の確認、人権訴訟などが重なるためであり、制度的な非効率性が指摘されています。

さらに、現場では「今この人を本当に執行していいのか?」という倫理的葛藤もあり、実行段階でのブレーキ要素になっています。

5. 法務大臣ごとの方針差

過去の大臣を見ると、死刑を積極的に執行した例(森雅子、小泉龍司など)もあれば、任期中一度も署名しなかった例もあります。これは制度としてあまりにも属人的であり、「人が変わるだけで命の扱いが変わる」という重大な欠陥を抱えています。

制度として極めて重大な判断を、ひとりの大臣の署名にゆだねる構造は、冷静に見れば異常とも言える制度設計です。

6. 冤罪の余地がない凶悪犯への早期執行は可能か?

現行犯逮捕された凶悪犯罪者など、冤罪の余地がほとんどないように見えるケースに限り、死刑執行を早めるべきではないかという意見もあります。

しかし制度上、「冤罪の余地がゼロ」と確定することは困難です。目撃情報の錯誤や正当防衛の可能性、証拠の捏造といった例外的な事象も理論上は排除できず、例外処理を制度として設けてしまうと、公平性や一貫性が崩れるリスクがあります。

また、仮に執行を加速する制度を導入した場合、どの事件を「明白」とするかという恣意的判断が入り込みやすく、政治的圧力や世論の感情によって運用が左右されかねません。

さらに、長期間にわたって収監される死刑囚に対して、国費で衣食住や医療が提供されることに対して、納税者の立場から「なぜ凶悪犯を税金で養い続けるのか」といった感情的反発も根強く存在します。特に被害者遺族の視点からすれば、犯人が安全な環境で暮らしていること自体が苦痛に映るケースもあります。

こうした「早く償わせろ」「無駄な税金を使うな」といった感情は、一定の説得力を持ちながらも、刑罰制度の根幹を「感情」で揺るがす危険もはらんでいます。

制度の正統性と信頼性を維持するためには、「明らかに有罪に見える例外」を認めるよりも、例外を作らないことが重要であるという考え方が、現行制度の根底にあります。

結論

死刑執行がなされない背景には、政治的責任回避、冤罪リスク、国際圧力、制度運用の非効率、そしてなにより大臣個人の判断に左右される制度設計という、根本的な構造的問題が横たわっています。

こうした現実を前に、死刑制度の是非とは別に、「なぜ執行されないのか?」という問いは、司法と政治の間にある危うい綱渡りの構図を浮き彫りにしています。

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