2025年7月、元AV女優・三上悠亜さんがイベントで着用したウェディングドレスが発端となり、SNS上で激しい議論が巻き起こった。批判と擁護が真っ向からぶつかり合うなかで、単なる職業差別論争を超えた「価値観の衝突」と「夢への共感の分断」が浮き彫りとなった。
◆ 炎上の発端と展開
・三上さんがイベントで白いウェディングドレスを着用し、SNSに写真を投稿。
・そのドレスは、実際に結婚式で使用されるレンタル衣装として流通していたもので、後日使用予定だった花嫁が「AV女優が着たと知りショック」とSNSで告発。
・これに対して「職業差別だ」「ただの仕事の一環」「衣装に罪はない」と擁護する声が上がる一方、「一生に一度の舞台を汚された」「過去を軽視してほしくない」という批判が巻き起こる。
◆ 二極化する主張
【擁護派】職業差別への警鐘
- AV女優でもアイドルでも、何を着るかは自由。
- 「着た人の過去」によってドレスの価値が毀損されるのはおかしい。
- 自由と表現の多様性を否定する風潮こそ危険。
【批判派】文脈と感情の軽視
- 結婚式は“神聖な夢舞台”であり、ドレスにも特別な意味がある。
- AV業界がどうこうではなく、「そのドレスを着た」という事実がノイズになる。
- 問題は感情の共感と事前説明の不足にある。
◆ 中庸的視点:「差別ではないが、違和感はある」
極論の応酬の中で、静かに共感を集めたのは次のような“中間の声”だった。
- 「AV女優や風俗嬢を否定はしないが、だからといって全肯定もできない」
- 「そういう職業観でなければその仕事はできないのも分かる」
- 「子どもが憧れるような見せ方をするのは違う」
これらは職業差別ではなく、むしろ“裏稼業”と“表舞台”の線引きを明確にすべきという現実的な意見である。
◆ 結婚式という「一生に一度の夢」とノイズの構造
特に女性にとっての結婚式は、人生最大の“主観的夢舞台”である。その中で、「ドレスが他人、特に元AV女優に着られていた」と知ることは、本人にとって決して小さなことではない。
ワインに一滴の泥水が入ったら、それはもう“ワイン”ではない。
誰にとっては仕事であり、誰にとっては人生の頂点。それぞれの文脈が交差したとき、「問題がなかった」は成立しない。
◆ 本質的な問題は「感情の配慮と共感」
・花嫁の感情を軽視して「職業差別だ」と断じるのは早計。
・逆に、過去の職業や行為を「穢れ」として全否定するのも誤り。
・重要なのは、場の文脈と相手の夢にどれだけ“寄り添えるか”。
◆ 結論:「正義vs悪」ではなく「配慮vs無理解」
この問題の本質は、正しいか間違っているかではない。
■ 人生の夢舞台に、他人の現実をどう介入させるべきか?
■ 多様性の名の下に、誰かの“静かな幸福”を踏みにじっていないか?
その問いに向き合わない限り、同様の炎上は今後も繰り返されるだろう。