はじめに
お笑いジャーナリストであり、笑下村塾代表としても知られる たかまつなな氏 が、自身のSNSで「結婚しました」「事実婚です」と報告しました。一見すれば芸能人・著名人による幸せの共有のように見えますが、その内容には少なからず違和感が残ります。本記事では、事実婚とは何かを整理したうえで、今回の発表がなぜ「祝福で終われない気持ち悪さ」を感じさせるのかを分析します。
事実婚・内縁とは何か
事実婚や内縁は、婚姻届を提出していないが、夫婦同然の生活を営んでいる関係を指します。裁判例や学説では、以下の要件が重視されます。
- 婚姻意思の合致:互いに夫婦として生活する意思があること。
- 夫婦共同生活の実態:同居・家計の一体性・社会的認知など。
法律上、明確な期間要件はなく、半年程度の同居でも内縁と認められる場合があります。ただし「同居していない」「共同生活が始まっていない」状態では、事実婚や内縁とみなすことはできません。単なる婚約段階では、法的に保護される「内縁」にはならないのです。
たかまつ氏の結婚報告の違和感
たかまつ氏の発表には、次のような特徴があります。
- 「プロポーズされたので結婚することになりました」としながら、入籍はせず事実婚を選んだと宣言。
- 「人生で一番幸せな時」と言いつつ、同時に「選択的夫婦別姓の必要性」を強調。
- 相手は「一般人のため非公開」とされ、具体的な存在確認ができない。
この構造を見ると、「個人的な幸せ報告」というよりも、政治的なメッセージ発信を主眼に置いたストーリーの印象が強く残ります。結果として「おめでとうございます!」と素直に受け取れない違和感につながっています。
政治利用の色合い
本来であれば結婚報告は私的な幸福の表明で終わるものです。しかし今回の投稿では、
- 選択的夫婦別姓の制度改革を訴える政治的文脈
- 幸せなエピソードを交えた感情的共感の誘発
が全面に押し出されています。つまり「結婚報告」という個人的イベントをフックにしつつ、政策アピールのためのプロパガンダとして利用している構図が透けて見えるのです。
最悪のケース――架空のストーリー?
さらに懸念されるのは、相手が一般人で非公開である点です。もちろんプライバシー配慮は正当ですが、外部からは「実在が確認できない人物」として扱われざるを得ません。最悪のケースとして、
- 実際にはまだ共同生活が始まっていないのに「事実婚」と称している
- あるいは相手の存在自体が誇張や演出の可能性もある
というシナリオも完全には排除できません。もしそうであれば、「社会制度の訴求のために“物語”をでっちあげた」という極めて深刻な政治的プロパガンダとなります。
さらにあり得るシナリオ――事実婚解消の“物語”
仮に相手が実在した場合でも、事実婚は入籍していないため、解消は「性格の不一致で別れました」と宣言するだけで済んでしまいます。離婚届も不要で、財産分与や慰謝料は相手が争わない限り表に出てこない。つまり、一般人相手であれば外部から検証することは極めて困難です。
もし相手が存在しなかった場合でも、「事実婚を選びました → 性格の不一致で解消しました」という一連の流れを物語として展開すれば、何の法的リスクもなく都合よく政治的主張に利用できます。これは「幸福なストーリー」と「別れのストーリー」の両方を政策訴求のために消費できることを意味します。
まとめ
- 事実婚とは「実態を伴った共同生活」があって初めて成立する
- たかまつ氏の報告は、その実態部分が不透明で、政治的訴求が前面に出すぎている
- 結果として「祝福できない違和感」「気持ち悪さ」を多くの人に与えている
- 最悪の場合、ただのストーリーとして創作された可能性すら否定できない
- さらに、「事実婚の解消」という形で後付けのストーリーを展開することも可能であり、その場合も法的責任を問われることはほとんどない
結婚は本来、祝福すべきプライベートな出来事です。しかし、そこに政治的プロパガンダが強く混入すると、素直な共感は失われ、疑念や反感を呼び起こしてしまいます。今回のケースはその典型例といえるでしょう。