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パチンコ業界と右翼団体の関係史とは?軍艦マーチに見る昭和の象徴

戦後の日本で爆発的に広がったパチンコ産業。その背景には、暴力団や右翼団体との深いつながり、そして在日コリアン経営者の存在がありました。特に「軍艦マーチ」は、右翼の街宣車とパチンコ店のBGMの両方で流され、昭和文化を象徴する音楽となりました。本記事では、パチンコ業界・在日コリアン経営層・右翼団体の関係史を時系列で解説します。


戦後直後(1945〜1950年代):在日コリアンと業界参入

戦後の混乱期、多くの在日コリアンが生活基盤を築くためにパチンコ業界へ参入しました。パチンコは安価で手軽な娯楽として急速に普及する一方で、店舗は未整備でトラブルが多く、暴力団や愚連隊が用心棒として介入。この時期からすでに、軍歌を愛好する右翼団体とパチンコ産業の接点が生まれていました。


高度成長期(1960〜70年代):軍艦マーチと業界慣習化

昭和の高度経済成長期、パチンコ店は全国で大規模化。開店時には「軍艦マーチ」が流され、景気の良さを演出する定番曲となりました。同時に、右翼団体が業界の“調整役”として介入。地域の営業権や店舗トラブルの仲介を担うケースも増加しました。ここで特筆すべきは、在日コリアン経営者と右翼団体との関係です。一見相性が悪そうに見えますが、実際には 「利害一致の関係」 として、右翼が用心棒や交渉役を担い、在日経営者は黙認・利用する関係が成立していました。


バブル期〜暴対法(1980〜90年代):資金と政治の仲介役

バブル経済期、パチンコ業界は巨額の資金を動かす存在となり、政治献金ルートとしても注目されました。右翼団体は政治家と業界の橋渡しを担うこともあり、在日系経営者にとっても 右翼は必要な“防波堤” の役割を果たしました。しかし1991年の 暴力団対策法(暴対法) によって、表向きには排除が進みます。この頃から、パチンコ店のBGMはポップスや独自のサウンドへと移行し、「軍艦マーチ=パチンコ」の印象は徐々に薄れていきました。


2000年代以降:法人化と反社排除

21世紀に入ると、パチンコ業界は大手法人チェーン化が進み、反社会勢力との関係を排除する方針を徹底しました。右翼の影響力は衰退しましたが、街宣活動においては今も「軍艦マーチ」が流され続けています。そのため、現代人にとっては

  • 右翼街宣車=軍艦マーチ
  • 昭和のパチンコ店=軍艦マーチ
    という二重のイメージが残されています。

まとめ:利害関係で結びついた「右翼と在日経営者」

軍艦マーチはもともと海軍を讃える軍歌であり、右翼のシンボルとして親しまれる一方で、戦後のパチンコ業界における**“景気づけ音楽”**としても普及しました。表面的には「民族的・思想的に対立」しているように見える右翼と在日経営者ですが、実際には 経済的な利害一致による共存関係 があったのです。昭和の時代、パチンコ産業と右翼団体の結びつきは強く、結果的に「在日経営者×右翼×軍艦マーチ×パチンコ」という独特の文化的リンクが成立しました。現代では直接的な関係は薄れたものの、そのイメージは日本社会に深く根付いています。


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