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野田佳彦代表「減税主張」に対する反感と、その本質

■ 批判の構図

立憲民主党の野田佳彦代表が「消費税減税」を主張したことに対し、SNSや論壇では「どこの誰が増税したと思っているんだ」と強い反感が広がっている。理由は明確で、野田氏こそが2012年、旧民主党政権下で「消費税率10%への引き上げ」を決定した当事者だからだ。政治的記憶として「増税=野田」という図式が国民の中に根強く残っている。

■ しかし、状況は全く異なる

とはいえ、当時と現在では経済・社会の構造がまるで違う。主張が変化すること自体は、政治家として当然のことでもある。

● 2012年前後の前提

  • 高齢化による社会保障費の増大が急激に進行。
  • リーマンショック後の財政悪化で「財政再建」こそが最大の課題とされていた。
  • 国際的にも「増税による財政健全化」がG7共通の潮流。
  • 景気は低迷していたが、長期的な財源確保を優先した政策判断。

つまり、当時は「持続可能な社会保障制度を支えるための安定財源」という理屈であり、野田政権の増税方針は“責任政治”の象徴でもあった。

● 2025年の現実

  • 人口減少と少子高齢化が同時進行し、消費そのものが萎縮。
  • 物価高と実質賃金マイナスにより、生活者の可処分所得が大幅に低下。
  • 消費税による税収増が、景気低迷で相殺される構造が定着。
  • 財政政策の常識も変化し、MMT理論など「赤字=悪ではない」考えが浸透。

今は「財政健全化」よりも「内需回復」「購買意欲の刺激」が優先課題。したがって、“減税”はかつての“増税”と同じく、時代の要請に応じた政策判断と言える。

■ 政策の整合性よりも「感情の記憶」

それでも批判が止まないのは、合理的な政策論ではなく、感情の問題だ。加えて、当時の民主党政権はマニフェストで掲げた公約を次々と反故にし、特に現在、維新連立のきっかけともなっている議員定数削減も民主党は当時掲げながら未実施に終わったという記憶も根強く、国民の不信感が増幅している。消費税増税は野田政権崩壊の象徴であり、多くの国民に「痛み」として刻まれている。その“痛みの象徴”が「減税」を語れば、内容に関係なく「お前が言うな」という反応が返ってくるのは自然な流れでもある。

■ 本質的な評価

野田氏の発言は、過去の自己否定ではなく、現状認識のアップデートである。当時は増税が「責任ある政策」だった。今は減税が「責任ある政策」になっている。時代が変われば、正解も変わる。

政治とは、理念の一貫性と同時に、現実への適応力を問われる営みである。野田氏の「減税発言」が矛盾ではなく、むしろ“成熟した現実主義”の表れと見なせるかどうか——そこに有権者の成熟も問われている。

 

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