国会で正式に合意された“ガソリン暫定税率の廃止”。1リットルあたり約15円下がる見込みで、長引く物価高に苦しむ国民にとっては大きな救済策として歓迎されている。
しかしこの状況で、河野太郎議員のテレビ番組での一言が火種となった。
「フェラーリやポルシェに入れるガソリンまで値下げする必要はないんじゃないの」
この“例え”に対し、SNSやニュースコメント欄では怒りや失望の声が爆発。なぜここまで批判が広がったのか、その背景を整理する。
地方ほど「車がないと生活が成り立たない」という現実
都市圏では電車・バスが選択肢として機能するが、地方ではまったく事情が異なる。
- 公共交通が1〜2時間に一本、もしくは事実上存在しない地域も多い
 - 買い物・通勤・通学・通院のすべてが車依存
 - 車がないと職業選択すら狭まる
 
北海道・東北・九州・北関東など、冬の積雪や広大な移動距離がある地域では「車=生活必需品」。趣味や贅沢とはまったく異なる。
こうした地域でガソリン代が上がれば、生活コストそのものが直撃する。「フェラーリの例え」を出されたことで、多くの人が「生活実態の理解がない」と受け止めたのが炎上の本質だ。
事業者にとってもガソリンは“すべての原価”に影響する
燃料費が影響するのは配送業だけではない。多くの中小企業は、車両運用が日常業務の一部になっている。
- 工務店・設備業者の現場移動
 - 石材・建設・営繕などの工具や資材運搬
 - 医療・福祉の訪問サービス
 - 小売業の仕入れ・配達コスト
 
「ガソリン高=原価高騰」に直結するため、価格転嫁できなければ経営を圧迫し、最終的には消費者物価にも波及する。
つまり、ガソリン価格は庶民と中小企業の生活・経済活動の根幹に関わる問題であり、高級車の話を持ち出す余地はない。
なぜ「フェラーリ」で例えたのが“お門違い”だったのか
炎上理由は一言で言えば 「規模感がズレすぎ」 という点に尽きる。
- フェラーリやポルシェの所有者はごく少数
 - 暫定税率廃止の恩恵の中心は圧倒的に“普通の生活者”
 - 高級車を論点に持ち込むと、本質が歪む
 
さらに、地方の声としては
「趣味で車に乗ってるんじゃない」 「生活の足を例えに出さず、フェラーリ?」
と、生活への理解不足が強調される結果となった。
環境対策として「EV化推進」を語る場面では有効な論点でも、ガソリン税議論においてはミスマッチだったことが怒りを呼んだ。
河野氏の主張自体は理解できる部分もあるが…問題は“言い方”
河野氏はその後の発言で、
- 「困っている人には別途支援すべき」
 - 「物価高に根本的に取り組むべき」
 
と述べており、ガソリン代を軽視しているわけではない。
むしろ環境負荷や財源欠損1.5兆円の議論を重視しているスタンスは理解できる部分がある。
しかし、
・生活インフラとしての車依存 ・ガソリン価格が物価全体に影響する現実
これを踏まえず「フェラーリ」という極端な例を出してしまったことが、国民感情と大きく乖離し“庶民感覚がない”と受け止められた。
暫定税率廃止は「単なる値下げ」ではなく国民生活の基盤対策
ガソリン代が15円下がるということは、地方在住や家庭持ち、仕事で車を使う層にとっては非常に大きい。
- 通勤で月数千円〜1万円単位で変わる
 - 子育て家庭は2台持ちが当たり前
 - 物流・小売は仕入れ・配送コストが軽減
 
“フェラーリ”どころの話ではなく、国民生活の基盤を支える経済対策である。ここを無視したまま議論を進めることは、国民の実態と乖離した政策につながりかねない。
まとめ:例えが悪手すぎて炎上。議論すべきは「車依存社会での生活インフラ」
今回の炎上の本質は、
- 地方の生活
 - 中小企業の原価構造
 - 車依存のリアル
 
これらを無視した“例えのミス”にある。
ガソリン暫定税率の廃止は、高級車オーナーを助けるためではなく、生活者と事業者を支えるための現実的な政策だ。
今後の議論では、温暖化・財源・EV化などの論点と同時に、
「車なしでは働けない/生きられない」地域社会の声
を丁寧に拾うことが求められる。