SNSで即ブロックを繰り返してきた男が、妻・室井佑月相手には沈黙した理由
SNS上でおなじみの光景がある。政治家・米山隆一が批判的な相手と応酬を重ね、最後に放つ決めセリフ――「左様なら」。そしてブロック。この一連の流れは、彼のSNS対応を象徴する“完成された型”として知られてきた。
ところが今回、その必殺技が発動していない。
相手は、作家であり妻の室井佑月である。
普段の米山隆一なら即「左様なら」
これまでの米山隆一のSNS対応は一貫している。
- 誤解や認識違いを指摘する
- 論理的・制度的に説明する
- 感情論や揶揄が続くと
- 「左様なら」→ ブロック
支持者からは「無駄な議論を切り捨てる合理性」と評価され、批判者からは「対話拒否」「論破芸」と揶揄されることもあるが、少なくとも本人の中では確立されたスタイルだった。
しかし今回は、その型が使われていない。
相手が“妻”という特殊な存在
今回話題になっているのは、室井佑月が闘病入院中であるにもかかわらず、米山隆一がSNSでレスバを続けていたことに対する不満の表明だ。
重要なのは、これは
- 政策論争ではない
- デマ訂正でもない
- 正誤を競う議論でもない
完全に「感情」と「関係性」の問題であるという点だ。
論破の土俵そのものが存在しない。
なぜ「左様なら」が使えないのか
ブロックした瞬間に完成してしまう物語
もし仮に、いつもの調子で妻に対して「左様なら」を放ち、ブロックしたとしたらどうなるか。
- 病床の妻をSNSでブロックする夫
- 論理では強いが共感性がない
- 人としてどうなのか
こうした評価が一気に広がるのは想像に難くない。
これは論理では防げない“物語型の炎上”だ。
相手が止まらない
一般のSNSユーザーなら、ブロックすれば関係は終わる。
しかし室井佑月は違う。
- 発信力がある
- 言語化能力が高い
- 感情表現を武器にする
ブロックしても、別の表現、別の媒体で語り続けられる。
「左様なら」が機能しない相手なのである。
共感の軸が完全に相手側
今回は
- 闘病中
- 配偶者
- 感情の吐露
という、世論が共感しやすい条件が揃っている。
ここで論破ムーブを出せば、「勝った」ではなく「冷たい」が残るだけだ。
夫婦げんかというより一方通行
実態を見ると、
- 室井佑月は違和感や感情を表明
- 米山隆一は沈黙、もしくは最小限の反応
対等な口論というより、一方的な問題提起に近い。
そしてこの構図こそが、米山隆一から「左様なら」を奪っている。
SNS論破術の限界
今回の件が象徴しているのは、
- SNSで最適化された振る舞いは
- 私生活では通用しない
という現実だ。
論理や制度が支配する世界では有効な技も、感情と関係性が支配する領域では武器にならない。
まとめ|なぜ妻には「左様なら」できないのか
普段なら即「左様なら」。
しかし今回は妻が相手で、しかも闘病中。
結果として、米山隆一は自らの決め技を封印せざるを得なくなった。
これは弱さというより、SNS論破芸の適用限界が露呈した瞬間とも言える。
政治家としては合理的でも、夫としては使えない技。
今回の沈黙は、そのことを本人が一番理解している証拠なのかもしれない。