はじめに
「女性は仕事よりも子どもを産むことを優先すべき」——この発言をきっかけに、令和の虎出演者である Ken Kenobi(ケノケン)氏の言動がSNS上で議論を呼んでいる。
筆者自身は、氏の「俺が日本を支配して大国にする」といった強権的・誇張的な表現には賛同しない。一方で、今回の発言の一部、特に“結果論としての問題提起”については賛成できる部分があると考えている。
本記事では、
- 今回の炎上の概要
- なぜ批判され、なぜ一部で支持されるのか
- 多様性社会・女性の社会進出・リベラル思想は何をもたらしたのか
を整理し、感情論ではなく「結果」から冷静に考えていく。
今回の炎上は何が問題だったのか
今回の議論で問題視されたのは、主に次の点である。
- 「女性は〜すべき」という断定的表現
- 個人の生き方に対する価値観の押し付けに見えたこと
- 起業・自己実現を肯定する番組文脈との不一致
現代社会では、
- 結婚しない自由
- 出産しない自由
- キャリアを優先する自由
が当然の前提となっており、それに反するような表現は強い反発を招きやすい。
ただし重要なのは、発言の是非と、問題提起の中身は分けて考える必要があるという点だ。
なぜ一部の意見には賛同できるのか
筆者が賛同するのは、「女性を縛るべき」という主張ではない。
賛同できるのは、次の問いである。
- 多様性社会
- 女性の社会進出
- リベラル的思想
これらは、結果として日本社会に何をもたらしたのか?
この問い自体は、避けて通れない現実的テーマである。
数字が示す「結果」
理念ではなく、結果を見てみる。
出生率の低下
- 日本の合計特殊出生率は長期的に低下
- 社会維持に必要とされる水準を大きく下回る
未婚・晩婚化
- 生涯未婚率は男女ともに上昇
- 初婚年齢・初産年齢は30代へ
少子高齢化の固定化
- 労働人口の減少
- 社会保障負担の増大
- 地方の消滅リスク
これらは、思想の善悪ではなく現実として起きている結果である。
女性の社会進出は「成功」だったのか
女性の社会進出そのものは、多くの点で成功だった。
- 就業機会の拡大
- 経済的自立の選択肢
- 法制度上の平等
しかし同時に、見過ごされがちな現実もある。
- 出産・育児とフルタイム正社員の両立は極めて困難
- キャリアを取ると出産が遠のく
- 出産を取るとキャリアが中断される
つまり、
「選択肢は増えたが、同時達成はできない社会構造」
が放置されてきた。
リベラル思想の盲点
リベラル的思想は、次の前提に立つ。
- 個人の自由を最大化すれば社会は良くなる
- 役割分担は抑圧である
- 自己実現が最優先である
しかし社会には、避けて通れない現実がある。
- 社会は再生産(子ども)がなければ存続できない
- 再生産には時間・体力・機会コストがかかる
- その負担を誰も引き受けなくなった
結果として、
自由の総和が、社会の持続性を削った
という構図が生まれた。
「女性は産むべき」という話ではない
この議論は、しばしば誤解される。
問題の本質は、
- 女性を縛ること
- 出産を強制すること
ではない。
本質は、
- 出産には生物学的な期限があるという事実
- 社会がその現実を曖昧にしてきたこと
- 「いつでも選べる」という幻想を広めてきたこと
にある。
その結果、
- 選択できなくなってから後悔する個人
- 人口減少で立ち行かなくなる社会
が同時に生まれている。
なぜこの話題は炎上しやすいのか
理由は単純である。
- 生物学的事実を語ると差別と受け取られる
- 国家・社会視点を持つと個人軽視と批判される
- 結果論を語る前に感情論が先行する
しかし、議論を封じることは問題解決にはならない。
現実的な落としどころ
極端な思想に振れる必要はない。
現実的な方向性は次の通りだ。
- 出産・育児を個人任せにしない
- 出産を選ぶことが経済的・社会的に不利にならない設計
- 男性側の責任・役割の再設計
つまり、
自由は尊重するが、社会として方向づけは行う
という現実路線である。
まとめ
- Ken Kenobi氏の強権的・誇張的表現には賛同しない
- しかし、問題提起の一部には現実的な正しさがある
- 多様性・女性の社会進出・リベラル思想は幸福を広げた
- 同時に、社会の持続性を損なった
必要なのは、思想闘争ではなく結果を直視した再設計である。
感情ではなく現実から議論しなければ、日本社会はこの問題を乗り越えられない。