学校、教育委員会、警察、メディア。
本来、被害者が頼るべきはずの機関が動かない、あるいは動けない――。
近年、そうした構造不全の中で注目を集めているのが、デスドルノートのような暴露アカウントや、いじめ動画のSNS拡散です。
それらは「正義」なのか、それとも「悪」なのか。
本記事では結論を押し付けず、視聴者・読者自身に是非を問いかける形で整理します。
デスドルノート・いじめ動画拡散とは何か
デスドルノートとは
デスドルノートとは、主にSNS(X/旧Twitter)上で活動する匿名の暴露・告発型アカウントを指します。
名前の由来は漫画作品を想起させますが、実態はフィクションではなく、現実の人物・学校・組織に関する疑惑やトラブルを投稿・拡散する存在です。
特徴として、次の点が挙げられます。
- 運営者は匿名、個人または少人数での運営とみられる
- 被害者側から寄せられた情報・動画・証言をもとに投稿する
- 学校のいじめ、未成年トラブル、芸能・インフルエンサー問題など、従来は表に出にくかった題材を扱う
- 投稿後、短時間で大規模拡散が起きる
重要なのは、デスドルノートが報道機関でも、公的な告発窓口でもない点です。
一方で、単なるゴシップアカウントとも異なり、「社会的に問題がある可能性」を強く打ち出す構造を持っています。
なぜデスドルノートが生まれたのか
デスドルノートの登場は、偶然ではありません。
背景には、次のような社会構造があります。
- 学校・教育委員会が事実を認めず、内部処理で終わらせる
- 警察が事件性を認めず、捜査に至らない
- メディアが裏取り不足を理由に報道しない
つまり、正規ルートでは何も変わらなかった事例の積み重ねです。
被害者や家族が声を上げても、
- 記録が残らない
- 調査結果が非公開
- 時間だけが過ぎる
この状況下で、「世論という外圧を一気に発生させる装置」としてSNSが選ばれ、
その象徴的存在がデスドルノートでした。
デスドルノートの影響力
デスドルノートが注目される最大の理由は、
結果として社会が動いたケースが実在する点です。
- 再調査が行われた
- 第三者委員会が設置された
- 警察が捜査に着手した
- 全国ニュースとして報道された
これらは、拡散前には起きなかった動きです。
一方で、その影響力は諸刃の剣でもあります。
- 情報の真偽が確定する前に拡散される
- 当事者の反論や弁明が届かない
- 社会的制裁が先行し、後戻りできない
デスドルノートは「問題を可視化する力」と「暴走する危険性」を同時に持つ存在と言えます。
デスドルノートに代表される暴露系アカウントや、学校内のいじめ動画拡散には共通点があります。
- 本来は内部で処理・救済されるべき問題が外部化されている
- 公的機関が動かない、もしくは動きが極端に遅い
- SNS上で一気に可視化・炎上する
- 結果として、学校・教育委員会・警察・メディアが動かざるを得なくなる
つまり、制度が果たすべき役割をSNSが代替している状態です。
「是」とされる理由|結果として社会が動いた
肯定的に捉えられる最大の理由は、次の一点に集約されます。
結果として、隠蔽されていた問題が表に出て、社会が動いた
実際、次のようなケースは珍しくありません。
- 何年も訴えられていたいじめが放置されていた
- 内部調査という名のもとで事実が矮小化されていた
- 警察は「事件性なし」と判断していた
- メディアは裏が取れないとして報道を控えていた
しかしSNSで拡散された瞬間、
- 第三者委員会が設置される
- 再調査が始まる
- 警察が本格的に捜査に動く
- 全国ニュースとして報道される
この現実を見て、多くの人がこう感じます。
「最初からちゃんと対応していれば、拡散なんて必要なかったのではないか」
「非」とされる理由|私刑と冤罪のリスク
一方で、重大な問題点も存在します。
真偽が確定する前に拡散される
- 動画の一部だけが切り取られる
- 文脈や前後関係が省かれる
- 誤解やデマが混じる
それでも拡散は止まりません。
誰が裁いているのか分からない
- 裁く側は匿名
- 判断基準は不透明
- 間違っても訂正されにくい
これは法治ではなく、私刑に近い構造です。
無関係な人まで巻き込まれる
- 家族や同級生
- 別の学校・無関係な人物
- 名前が似ているだけの第三者
一度拡散された情報は、完全に消すことはできません。
「いじめ」という言葉では足りない実態
ここで、あえて強調しておくべき点があります。
SNSで拡散される事案の多くは、一般に「いじめ」と表現されていますが、
その実態は、いじめという言葉では到底収まらないものが大半です。
実際に投稿・拡散されている動画や証言の中身は、
- 複数人による長時間の暴行
- 抵抗不能な状況での殴打・蹴り
- 精神的に追い込むための脅迫や強要
- 撮影・共有を前提とした辱め行為
など、悪質で陰湿、かつ残虐と呼ぶべき内容が目立ちます。
これらは単なる「いじめ」ではなく、
刑法上の暴行罪・傷害罪に該当し得る行為であり、
本来は学校内の指導や教育の範疇を明確に超えています。
それにもかかわらず、
- 学校は「いじめ事案」として矮小化し
- 教育委員会は内部処理にとどめ
- 警察は事件性を認めない
という対応が繰り返されてきました。
この言葉のすり替えこそが、問題を深刻化させています。
被害者はなぜSNSに向かうのか
ここで重要なのは、
被害者がSNSを「選んでいる」のではないという点です。
多くの場合、順番はこうです。
- 学校に相談
- 教育委員会に相談
- 警察に相談
- それでも動かない
結果として、
SNSにしか反応してくれる場所が残っていなかった
という状態に追い込まれています。
これは承認欲求ではなく、救済の最後の手段としての行動です。
SNSは正義の装置か、それとも圧力装置か
SNSは決して「正義」を判断する場ではありません。
しかし現実には、
- 法よりも
- 事実認定よりも
- 世論と炎上
が、組織を動かしている側面があります。
「正しいから動いた」のではなく、
「燃えたらまずいから動いた」
この逆転現象こそが、問題の本質です。
是か非かを分ける問い
ここで、読者に問いを投げかけます。
- 公的機関が機能していない状況で、被害者は沈黙すべきか
- 拡散しなければ救われない現実を、誰が作ったのか
- 動かない制度と、暴走しやすいSNS、どちらがより危険なのか
- あなたが当事者だった場合、他に選択肢はあるのか
結論を出さないという結論
デスドルノートやいじめ動画拡散は、
- 無条件に「是」と言えるものではない
- しかし単純に「非」と切り捨てられるものでもない
それは、
本来機能すべき制度が壊れている社会の鏡だからです。
もし学校・教育委員会・警察・メディアが
最初から誠実に、迅速に動いていれば、
この問い自体が生まれることはなかったでしょう。
是か非か。
その答えは、SNSの向こう側ではなく、
私たちが許容してきた社会のあり方の中にあります。