新左翼とは、1950年代以降、既成の共産党やソ連型社会主義を批判する中から登場した、新しい左翼運動や思想潮流の総称です。
日本では、1960年の日米安全保障条約改定を巡る安保闘争、ベトナム戦争反対運動、1968年から1969年に全国へ広がった大学闘争などで注目されました。
革マル派、中核派、共産主義者同盟、いわゆるブントなどが代表的な党派として知られています。
ただし、新左翼は一つの組織ではありません。また、左翼全体や日本共産党と同じものでもなければ、新左翼のすべてが暴力的な過激派というわけでもありません。
この記事では、新左翼とは何か、共産党、左翼、過激派とは何が違うのか、その思想と歴史をわかりやすく解説します。
新左翼とは
新左翼とは、従来の共産党や社会主義政党とは異なる方法で、資本主義や既存の政治体制を変革しようとした左翼運動の総称です。
英語では「ニュー・レフト」と呼ばれ、1950年代から1960年代にかけて、欧米や日本などで登場しました。
当時、社会主義運動の中心にあったのはソ連と各国の共産党でした。
しかし、ソ連ではスターリンによる政治的弾圧や言論統制が明らかになり、社会主義を掲げながら官僚が権力を独占する体制への批判が広がります。
その一方で、アメリカを中心とする資本主義陣営でも、ベトナム戦争、人種差別、植民地主義、大企業による支配などが問題になっていました。
新左翼は、資本主義にもソ連型社会主義にも批判的な、新しい変革運動として登場したのです。
左翼とは何か
左翼とは、政治的・社会的な平等を重視し、格差や権力の集中を是正しようとする思想や勢力を広く表す言葉です。
フランス革命期の議会で、急進的な改革を求める勢力が議長席から見て左側に座ったことが、左翼という言葉の由来とされています。
現代の左翼には、社会民主主義、民主社会主義、共産主義、労働運動、環境運動、反差別運動、フェミニズムなど、さまざまな思想や活動が含まれます。
選挙と議会を通じて福祉や労働政策を改善しようとする勢力もあれば、資本主義そのものを変えようとする勢力もあります。
つまり、左翼は非常に広い分類です。
新左翼は左翼の一部ですが、左翼全体が新左翼というわけではありません。
「新しい左翼」は何に対して新しかったのか
新左翼の「新しい」という言葉は、年齢が若いという意味だけではありません。
従来の共産党や社会主義政党、ソ連を中心とする国際共産主義運動を「古い左翼」とみなし、それとは異なる理論と運動を目指したことを意味します。
新左翼側は、既成共産党について、選挙や議会活動を優先しすぎている、党指導部が官僚化している、労働者や学生の自発的な運動を抑えているなどと批判しました。
また、ソ連についても、労働者が自由に社会を運営する国ではなく、共産党官僚が支配する体制になっていると批判しました。
ただし、新左翼内部でもソ連、中国、キューバ、トロツキー、毛沢東などに対する評価は異なり、統一された一つの思想があったわけではありません。
日本で新左翼が生まれた背景
日本の新左翼が生まれた背景には、日本共産党の路線を巡る混乱がありました。
終戦後、日本共産党は勢力を拡大しましたが、1950年代初頭には国際共産主義運動からの批判や党内対立によって分裂状態になります。
一部では、山村工作隊や火炎瓶闘争など、武装闘争的な活動も行われました。
日本共産党は1955年の第6回全国協議会、いわゆる六全協で党の統一を回復し、それまでの武装闘争路線を事実上転換しました。
しかし、急激な方針転換や党指導部のあり方に納得できない学生や若手活動家もいました。
さらに1956年、ソ連共産党のフルシチョフがスターリン批判を行い、同年にはソ連軍がハンガリーの反政府運動を武力で鎮圧しました。
これらの出来事によって、「ソ連や共産党の方針は常に正しい」という見方が大きく揺らぎました。
日本共産党から離れた活動家や、党の指導に従わない学生たちが、新しい革命運動を作り始めます。これが日本の新左翼の形成につながりました。
共産主義者同盟・ブントの登場
1958年、日本共産党と対立した学生運動家らを中心に、共産主義者同盟が結成されました。
ドイツ語で同盟を意味する「ブント」という通称で知られています。
ブントは、既成共産党の指導を受けず、学生や労働者が自ら行動することを重視しました。
1960年の安保闘争では、全日本学生自治会総連合、いわゆる全学連の主流派を形成し、国会周辺での大規模な抗議活動を主導しました。
安保条約の改定を阻止できなかったことで、ブントは運動方針や責任を巡って分裂します。
しかし、ブントの活動は、若者が既成政党から独立して政治運動を行うという新左翼の象徴的な経験になりました。
革共同系の登場
新左翼のもう一つの大きな流れが、革命的共産主義者同盟、通称「革共同」です。
革共同は、資本主義と帝国主義に反対すると同時に、ソ連や既成共産党の官僚主義にも反対しました。
その思想は「反帝国主義・反スターリン主義」と呼ばれます。
革共同はその後、闘争方針や組織建設を巡って分裂し、1963年には革マル派と中核派に分かれました。
革マル派は理論と組織建設を重視し、中核派は労働運動や学生運動などの大衆闘争を重視する傾向を持ちました。
分裂後、両派は激しく対立し、1970年代には内ゲバと呼ばれる暴力的な党派間抗争を繰り返しました。
新左翼にはどのような党派があったのか
日本の新左翼は、非常に多くの党派に分裂しました。
代表的な流れとしては、次のようなものがあります。
・革共同系の革マル派、中核派
・共産主義者同盟系の各派
・社会主義青年同盟から分かれた解放派
・第四インターナショナル系の党派
・赤軍派とその後継組織
・特定党派に所属しないノンセクト・ラジカル
それぞれが、革命の方法、ソ連や中国の評価、労働者と学生の役割、民族問題、組織の作り方などを巡って異なる主張を持っていました。
分裂後の党派がさらに分裂することも多く、外部から見ると非常に複雑な系統になっています。
この細かな党派区分は「セクト」と呼ばれることがあります。
全学連と全共闘は新左翼なのか
全学連と全共闘も、新左翼と関連してよく登場する言葉です。
全学連は、全国の学生自治会による連合組織として1948年に結成されました。
当初は日本共産党の影響が強い組織でしたが、その後、共産党と対立する新左翼系の学生が主導権を握ります。さらに党派対立によって複数の全学連に分裂しました。
一方、全共闘は「全学共闘会議」の略称です。
1968年から1969年の大学闘争で、大学ごとに学生が作った共闘組織を指します。
全共闘には新左翼党派の活動家だけでなく、特定党派に所属しない一般学生やノンセクトの学生も参加していました。
したがって、全共闘は一つの全国組織や新左翼党派の名称ではありません。
新左翼と日本共産党の違い
日本共産党は1922年に結成され、現在も国政選挙や地方選挙に候補者を立てている政党です。
選挙で議席を獲得し、議会活動と国民運動を通じて政策や社会を変えることを基本としています。
現在の日本共産党は、改革は国民多数の支持と選挙を通じ、平和的・合法的に進めるという立場を表明しています。
これに対して新左翼は、既成政党である日本共産党の組織運営や議会中心の路線を批判し、学生運動、労働運動、街頭闘争などを重視してきました。
また、新左翼の多くは、社会主義国を自称していたソ連や中国、既成共産党の体制についても批判しました。
日本共産党もソ連による覇権主義や侵略を批判してきましたが、新左翼とは歴史的経緯、組織、理論、運動方針が異なります。
共産主義を掲げているという共通点だけで、両者を同じ組織と考えることはできません。
新左翼と過激派の違い
過激派とは、一般的には、目的を実現するために暴力や極端な手段を使う個人・組織を指す言葉です。
ただし、日常語や報道上の呼称として使われることが多く、思想を正確に分類する統一された法律用語ではありません。
警察白書では、暴力革命による共産主義社会の実現を目指す特定の組織を「極左暴力集団」と呼んでいます。
中核派、革マル派、革労協の一部などが、この分類で取り上げられています。
これらの党派が過去にテロ、ゲリラ、内ゲバなどの事件を起こしたため、「新左翼」と「過激派」が同じ意味のように使われるようになりました。
しかし、新左翼という言葉は、歴史的・思想的な運動の系統を示すものです。
過激派という言葉は、主に活動方法の暴力性や急進性に注目した呼び方です。
新左翼に属する活動家や運動が、すべて暴力を行ったわけではありません。平和的なデモ、出版、討論、労働運動、文化活動を中心にした人々も存在しました。
なぜ新左翼は過激化したのか
新左翼の一部が過激化した背景には、複数の要因があります。
第一に、選挙や議会では社会を根本的に変えられないという考えがありました。
第二に、ベトナム戦争、米軍基地、大学運営などを、直ちに阻止すべき深刻な問題だと捉えていました。
第三に、1960年代の大規模なデモと警察との衝突を通じて、実力行動を革命運動の重要な手段とみなす勢力が拡大しました。
第四に、党派同士が学生自治会や運動の主導権を争い、互いを革命を妨害する敵として扱うようになりました。
その結果、街頭での衝突だけでなく、爆発物や放火を使った事件、党派間の内ゲバなどが発生しました。
ただし、「若者が社会変革を求めた結果、必然的に暴力へ向かった」と単純化することはできません。
同じ時代に活動した人々の中にも、暴力に反対し、非暴力の市民運動や文化運動へ進んだ人が数多くいました。
赤軍派・連合赤軍・日本赤軍との関係
赤軍派、連合赤軍、日本赤軍も、新左翼の歴史の中から生まれた組織です。
赤軍派は、共産主義者同盟の一部から分かれ、武装蜂起や世界革命を主張しました。
その後、国内で活動した一部の勢力が別の組織と合流して連合赤軍を形成し、山岳拠点事件やあさま山荘事件を起こしました。
海外へ活動の場を移した勢力は、日本赤軍の結成につながりました。
これらの事件は新左翼運動に対する社会的な印象を決定的に悪化させました。
しかし、赤軍派系は新左翼の一部であり、新左翼のすべてが赤軍派や連合赤軍だったわけではありません。
新左翼が衰退した理由
1970年代以降、新左翼運動は急速に影響力を失っていきました。
主な理由として、次のような点が挙げられます。
・内ゲバやテロ事件によって社会的支持を失った
・党派が細かく分裂し、互いに対立した
・大学の管理強化で学生運動の拠点が減少した
・多数の活動家が逮捕、離脱、就職などで運動を離れた
・高度経済成長や社会環境の変化で革命への関心が低下した
・環境、女性、人権、地域など、運動の課題が多様化した
一部の活動家は政党や労働組合へ移り、別の人々は市民運動、環境運動、反戦運動、出版、研究などへ活動の場を変えました。
新左翼が完全に消えたというより、その一部が縮小し、一部は別の社会運動へ変化したと考えたほうが正確です。
現在も新左翼は存在するのか
現在も、中核派、革マル派、革労協などの組織は活動を続けています。
反戦、反基地、原発、労働問題、大学政策などをテーマに、集会、デモ、機関紙発行、学習会などを行っています。
警察庁は、これらのうち暴力革命を掲げ、過去のテロ・ゲリラ事件や非公然組織との関係を持つと判断している党派を「極左暴力集団」と位置付け、動向を注視しています。
ただし、現在行われている個々の集会やデモ、出版活動が、すべて違法という意味ではありません。
政治思想を持つことや合法的な運動を行うことと、具体的な犯罪行為は区別する必要があります。
新左翼・左翼・共産党・過激派を整理
左翼は、平等や格差是正を重視する幅広い政治思想です。
日本共産党は、その左翼勢力の一つであり、選挙と議会活動を行う正式な政党です。
新左翼は、1950年代以降、既成共産党やソ連型社会主義を批判して登場した運動や党派の総称です。
過激派は、暴力や極端な手段を使う組織を指す一般的な呼称で、歴史的な思想系統を示す新左翼とは分類の基準が異なります。
新左翼の一部は過激派と呼ばれる活動へ進みましたが、新左翼全体と過激派を同一視することはできません。
まとめ
新左翼とは、既成の共産党とソ連型社会主義を批判し、新しい社会変革の方法を目指して1950年代以降に登場した左翼運動の総称です。
日本では、ブント、革共同、中核派、革マル派、解放派など、数多くの党派が生まれました。
1960年安保闘争や1968年から1969年の大学闘争では、多くの学生や若者を動員しましたが、その後は党派分裂、内ゲバ、テロ事件などによって社会的支持を失いました。
左翼は幅広い思想の総称、日本共産党は選挙と議会活動を行う政党、新左翼は既成共産党から独立した歴史的な運動潮流、過激派は暴力的・急進的な活動方法に注目した呼び方です。
これらの言葉は重なる部分がありますが、同じ意味ではありません。
新左翼を理解するには、個々の事件だけでなく、なぜ若者たちが既成政党やソ連型社会主義に疑問を持ち、新しい運動を作ろうとしたのか、その後なぜ分裂と暴力へ進んだ勢力が現れたのかを分けて考えることが重要です。